エシカルファッションブランドに、社会的意義はあるのでしょうか?
原価の見える服屋さん代表の高尾が、社会的意義のある仕事とは何なのかを自問自答するだけの記事です。
このブランドは応援する価値があるのか、見極めていただくために活用いただけますと幸いです!
ブルシットな仕事
いきなり過激なタイトルになってしまいましたが、「ブルシット・ジョブ」という本を読まれたことがある方は、ピンときたかも知れません。
あまりにも拡大解釈が過ぎると言われてしまうかもしれませんが、一言だけで要約すれば「世の中の仕事の大半は、本質的な意味のないクソな仕事(ブルシット・ジョブ)である」という内容の本です。
本文の趣旨からは外れてしまうので、論拠などは割愛するのですが、確かに思いつく職業の意義を一つ一つ考えてみると、本質的に意味のないように感じる側面は多くあります。
産業革命が起きた際、機械の登場によって、将来的には人間のやる仕事は格段に減ると予想されました。しかし、現代でも変わらず人間はフルタイムで働いており、それはブルシット・ジョブが絶え間なく生み出され続けているからだというのがこの本の筆者の主張です。自分はなんのために働いているのかを考えるきっかけを与えてくれる本でした。
"意義"を支える前提
本題に戻って、「社会的に意義のあること(≒世の中のためになること)」って何だろうと考えてみると意外と難しいことに気づきました。なぜなら、全ての「意義」には「前提」が存在し、その前提に全人類共通なものはないからです。
例えば、この数年で一気に世の中でも一般的になった「マッチングアプリ」を考えてみると、「パートナーがいることは素晴らしい」という前提において、大変有意義なアプリです。マッチングアプリが登場するまでは、自分の友人やその友人の紹介など、限られた人間関係の中で運命の人を探していたわけですが、マッチングアプリによって、世界中から運命の人を探し当てられるようになったわけです。
しかし、裏を返すと「パートナーなしで、自由気ままに生きる方が良い」と考える人にとっては、その事業は意味のあるものにはなりません。つまり、その人がどういう価値観を持っているかによって、意義があるかどうかは変わるのです。
前提によるサービスの限界
これまで話してきたことをまとめると、その事業に意義があるかどうかは、どういった前提(≒価値観)において判断するのかに依存しているのではと考えるようになりました。
よって、そのサービスを良いと思う価値観を持った(または将来的に持つであろう)人の数が、そのサービスの限界を決めるのだと思うのです。
何を申し上げたいかというと、サービスを大きくしたいのであれば、自分の始めようとしている事業は、より多くの人にとっても意義のあるものになり得るのかを、一歩引いて考えてみる必要があるということです。
意義とニーズ
そんなに難しく考えずとも、「ニーズに応えることが意義のある仕事だ」という意見には一理ありますが、私は違和感を感じる部分があります。
例えば、今でも問題にあがる漫画や映画の違法アップロードなどは、「無料で漫画を読みたい」というニーズに応えていますが、法律を犯して他者の利益を損なっているという点で、少なくとも私の価値観では、そこに社会意義は感じられません。一方で、映画や漫画を読めない人にも平等に機会を与えているといった見方をする方もいらっしゃるかもしれません。
上記の例は、全て私の価値観によって判断されており、受け手によってはとても意義深いことかも知れません。よって、1つ1つの事象に対して、私たちの「価値観」が反映され、「社会的意義のある事業」が成り立つ不変の法則などというものはないと感じます。
原価の見える服屋さんの社会的意義は
原価の見える服屋さんの意義は、大きく言えば「環境問題や労働問題の解決」といった形でご紹介いただくことが多いです。しかし、これは少々大きすぎる気がしています。
あくまでも、私たちが提供している価値は、「善く生きる」選択肢を作っていることだと考えています。
環境や人権が犠牲になっていることを見て見ぬふりすれば、もっと安く服を買って、季節ごとに服を買い替えることができるはずですが、「やはり無関心ではいられない」という価値観を持つ方々が、自分らしい選択ができるように、私たちが存在しています。
私たちが大切にしていることに共感してくださる方々の手に、少しでも良い商品を届け続けられられるように頑張っていきたいと思います。