原価の見える服屋さんはエシカルファッションブランドであると自称していますが、そもそも「エシカル」「サスティナブル」とは非常に曖昧です。
そのため、エシカルファッションブランドとはどんなブランドなのかも、ついつい曖昧になってしまいがちです。
この記事では、「エシカル」や「サスティナブル」に対する、私たちのスタンスを明確にして、応援できるブランドかどうかを見極めていただければと思います。
サスティナブルである意味はあるのか
筆者は、COTEN RADIOというラジオが好きで、よく拝聴しているのですが、"資本主義の成り立ちから、資本主義の課題やその原因について様々な視点から見てみる"という回で、印象に残ったお話がありました。
「歴史上、人類が進化し続けると考えているのは現代人だけで、これまでは、破滅に近づいていくものと考えられていた」という部分です。
つまり、これから先も持続的に成長し続ける(=サスティナブル)という考え方自体がとても現代的で、未来を人間がコントロールできると考えること自体が間違っているのかもしれません。
「自然を守る」ことだけが解決策ではない
また、「現状維持」が常に正解ではありません。
例えば、今の地球の状態を保つのではなく、温度が上昇してしまった未来で快適に生活できるテクノロジーを研究することも答えかもしれません。
自然を守りたい人だけが偉いのではなく、さまざまなアプローチで私たちの未来を便利にしようと試行錯誤が繰り返されている訳で、そうした取り組みが環境に負荷を与えているからといって、中止するのもどうかなぁと思ってしまうのです。
私たちのスタンスとして、自然を守ることが唯一無二の答えだとは思っていないという点は、強調しておくべきかなと思うのです。
ただ、本当に個人的なことを言ってしまうと、緑いっぱいの自然が好きですし、動物たちと少しでも共存していきたいなと思っているのは事実であり、故に原価の見える服屋さんでは、徹底して環境に配慮していたりします。
倫理的であるということ
その一方で、倫理的(エシカル)であるかという点では、もう少し議論の余地があると思います。
例えば、先進国に住む私たちが安く服を買うために、途上国の方々が不当に安い賃金で働かされ、大量の服が廃棄されているというのは、自分たちさえよければ良いという考えにも捉えられます。
これは、いろんな考え方があるよねと言って済まされる訳ではないと思っています。私たちは、倫理的に"間違っている"ことを見て見ぬふりをすることができないちょっと変わり者なのかもしれません。
私たちの理想のあり方をプロダクトに
私たちは、「地球を守る」とか「未来の子どもたちのために」といった大義名分を語れるほどではありません。
しかし、せっかく美しい自然は残していきたいし、倫理的に間違った行いを気付かないふりをして続けていきたくないと思っています。
原価の見える服屋さんは、そんな"私たちなりの理想をあり方"を追求したブランドの形であり、普遍的な"正解"を提示しているものではありません。
少しでも共感してくださる方が、私たちの商品を通して、少しでも良い一日を遅れたら、これ以上に嬉しいことはありません。